Entre les larmes et la vérité – Pasteur David Jang

Introduction : Une perspective sur la Deuxième Épître aux Corinthiens et le parcours théologique du pasteur David JangAu fil de plusieurs décennies de ministère pastoral et de recherche théologique, le pasteur David Jang a su approfondir la compréhension de la Deuxième Épître aux Corinthiens, texte parfois complexe, pour en dégager un message pertinent à l’adresse … Read more

在泪水与真理之间 —— 张大卫牧师与《哥林多后书》的深层解读

引言:从解读哥林多后书的视角看张大卫牧师的神学旅程在当代华人教会与神学语境中,张大卫牧师以数十年的牧会经验与神学研究,为信徒提供了对《哥林多后书》的深入诠释。尽管《哥林多后书》诞生于公元一世纪特殊的历史、文化与宗教处境之中,这封书信却仍对今日教会与信徒的信仰生活产生丰富影响。在张牧师看来,这卷书并非只是保罗与哥林多教会冲突的历史记录,更是带有炽热情感、真理捍卫以及灵性实践的“活的文献”。 保罗并未在该书中构筑抽象的神学体系,而是在面临教会内部混乱、外来虚假教导、跨文化争议以及宣教艰难处境之下,将神学、牧会、属灵实践融为一体,以应对现实问题。张大卫牧师认为,《哥林多后书》深刻体现了福音真理的坚守、恩典为本的救恩论核心、在患难中仰望神的信仰气质、以及对虚假教导的分辨与拒斥。这一切,不仅对一世纪的哥林多教会意义非凡,对于二十一世纪的教会同样是宝贵的资源。 在下文的六个子主题中,我们将更全面地分析《哥林多后书》的核心信息,并探讨其对于张牧师的牧会哲学和当代华人教会的启示意义。透过对历史背景、文本神学、牧会实践以及现代应用的全方位考察,我们期望展现《哥林多后书》那既深沉痛苦、又光芒四射的属灵财富。 1. 哥林多教会的背景与保罗的牧会历程 要深刻理解《哥林多后书》,首先必须回到一世纪的地中海世界,看清保罗与哥林多教会复杂的互动。哥林多是罗马帝国的一座重要商业都市,它坐落在连接希腊本土南北通道的要塞位置,充满多元文化和宗教氛围。这里既有希腊哲学的传统智慧与修辞学传统,也有罗马帝国统治带来的社会结构与法律秩序,更有各式异教崇拜、东方神秘宗教、犹太侨民社区和本地希腊人的生活方式。多元主义和相对主义盛行的哥林多,为刚刚扎根的教会带来了相当的张力与挑战。 保罗在第二次宣教旅程中(约主后50年左右)建立了哥林多教会,这个教会由犹太人、外邦人、社会精英以及下层民众组成。这种多元化使得教会在福音真理的接纳、教会纪律的执行以及属灵恩赐的理解等问题上呈现高度复杂性。正因为如此,保罗在离开哥林多后,不得不不断透过书信、使者以及口头报告关注这间教会的发展。 张大卫牧师通过细致的历史与经文研究,强调保罗并不是在真空中写信,他的牧会历程横跨以弗所、马其顿、亚该亚与耶路撒冷。保罗心系多个教会网络:耶路撒冷母会的贫乏需要、以弗所作为宣教枢纽的挑战、马其顿教会的慷慨榜样、以及外邦宣教拓展时遭遇的政治、宗教迫害。这一立体的图景使我们理解到,《哥林多后书》并非针对孤立事件的理论性回应,而是保罗在错综复杂的处境中,为坚立福音、建造教会、维护真理而作出的“现场性神学反思”。 在这一维度上,张牧师特别指出,当代教会领袖同样面临多元文化、社会思潮冲击与异端渗透的问题。正如保罗需要在跨区域教会网络中为福音原则而战,今日牧者也必须在全球化、数字化以及社会价值观快速变迁的环境中寻求智慧。透过诠释《哥林多后书》,我们看到牧会与宣教的有机交织:既要正视教会内部的纷争与虚假教导,又要回应时代呼声,守护信仰传统。 2. 捍卫福音真理与恩典为中心的救恩论核心 在《哥林多后书》中,保罗坚持的核心信念之一是福音的纯净与真理的不可妥协。福音关乎基督的死与复活这一独特而绝对性的历史事件,这救恩并非来自人类的功德或律法守则,而是出于神单方面的恩典与慈爱。保罗在与割礼派(犹太背景的基督徒团体)以及其他受希腊化思想影响的教师们对话中,时常需要捍卫这一点。当有人试图在福音上加添特定文化、民族或律法条件时,保罗绝不让步。 张大卫牧师强调,保罗在《哥林多后书》中虽然没有像《加拉太书》那样集中讨论律法之役,但仍可见其对福音真理的坚守。不论是犹太律法主义倾向,还是希腊哲学与修辞技巧对福音的影响,都不能使神恩典的本质受到稀释。今日教会或信徒可能不会面对割礼的问题,但却会遇到其他试图“附加条件”的势力,如以特定传统、制度、文化习俗或灵恩经验取代福音中心。张牧师呼吁,任何形式的“加添”都会稀释福音的纯度,将焦点从神的恩典移向人的成就或文化标记。 此外,保罗在《哥林多后书》展现出的恩典神学,不只是一个抽象命题,更是他个人生命经历的体现。在书信中,保罗多次谈到他自身经历患难、软弱、逼迫,却在此过程中更加深刻地体会到神的恩典够用。他在12章谈及自己的“肉中之刺”时,更是将福音的本质与自身软弱关联起来:人的软弱正是彰显神大能与恩典的时机。这意味着福音并非使人夸耀自身的属灵成就或理性能力,而是引领信徒在卑微中仰望基督的全备。 这种以恩典为中心的救恩论在今天的教会语境中尤为重要。当世俗成功学、消费主义、民族主义、教派主义、教会扩张主义不断侵入教会思维时,我们必须回归保罗的核心宣告:唯独恩典、唯独信心、唯独基督。这使得教会在快速变迁的时代背景下,仍能保持对福音本质的忠诚。 3. 患难与安慰的神学,以及群体责任 《哥林多后书》以对“赐各样安慰之神”的颂赞为开端(1:3-11)。这里的“安慰”在原文中不仅指心理层面的抚慰,更是一种神所赐之内在力量与存在勇气。保罗提到自己在亚西亚遭遇巨大的困苦,甚至“断绝了生的指望”,这不是比喻性的夸张,而可能是真实生死存亡的边缘体验。在此极限境遇中,他不靠自己的智慧、力量或人际关系,而是单单仰望叫死人复活的上帝。 张大卫牧师深入探讨这种“患难神学”。在古代世界,患难与苦难常被视为神之审判或人之失败。但保罗却从福音角度为患难重新定位:它成为使徒和信徒更加依靠神、更加明白福音实质的途径。患难引领信徒看到生命的有限与脆弱,从而更全面地理解救恩的恩典。在这个过程中,上帝的安慰并非只是让人逃避苦难,更是让人在苦难中经历神的同在与更新。 与此相关的是《哥林多后书》8-9章中关于奉献与群体互助的教导。保罗呼吁哥林多教会为耶路撒冷贫困的信徒捐献。这不仅是道德性的号召,更是体现福音群体真理的实践:蒙恩者彼此分享恩典,从受赐者转变为施予者。张大卫牧师强调,这一原则可以转化为当代教会的社关行动(社会关怀)与跨文化宣教的推动力。当教会不再只为自身利益而存在,而是为全球教会的需要、为社会弱势群体的利益以及为处境艰难的宣教工场而行动时,就体现了福音的真正力量。 今日,无论是经济衰退、疫病肆虐、社会不公、环境危机、教会内讧或外界敌意,信徒都可从《哥林多后书》的患难神学中汲取养分。教会在患难中若能保持对神的依靠,并以彼此相爱的奉献回应,就能成为将安慰传递给世界的管道。张牧师指出,患难与安慰交织的属灵经验,使教会不只停留在教义宣称上,而是成为活的见证群体。 4. 应对假教师与确立使徒性权威:真理与谦卑的张力 《哥林多后书》后半部(尤其10-13章)中,保罗面临来自“超级使徒”或“假使徒”的挑战。这些人或许拥有出众的修辞才能、哲学知识、属灵经历甚至经济资源,以此获取教会的认可。与他们相比,保罗显得卑微、朴素、无足挂齿,甚至他的外貌、口才、经济独立性都在质疑中。面对这种处境,保罗并未诉诸世俗的权威标准,而是强调使徒权威的基础在于福音的真理与神的呼召。 张大卫牧师认为,这里凸显了教会领袖当如何在面对异端与虚假教导时持守真理的紧要性。保罗既不向世俗标准妥协,也不在虚假教导面前沉默。他在《哥林多后书》中采用一种独特的“愚昧之谈”(愚人自夸)的修辞策略,反语性地与假使徒较量,强调自己的软弱、苦难经历与服侍的真诚。这种方法旨在颠覆当时流行的功利化宗教观念,反转教会对权威与成功的定义。 在当代华人教会中,类似的挑战依然存在。有些教会领袖可能以个人魅力、社会关系、财务实力或人气指标来证明自己,却忽略了灵性深度、真理扎根与服侍牺牲的重要性。张牧师借鉴保罗经验指出:真正的属灵权威并不靠外在条件,而是源于对真理的忠诚、对群体的牺牲与对基督的追随。当假教师或异端试图以似是而非的教导、灵验神迹、名利诱惑影响教会时,牧者与信徒需像保罗一样站立稳固,坚持福音核心,不被蛊惑。 这种权威的确立也关乎谦卑与分辨。保罗并非以居高临下的姿态压制对手,而是透过自我卑微来彰显神的力量。张牧师指出,这给今日教会领袖提供了极为现实的榜样:在坚持真理时不能缺乏爱与谦卑,在捍卫教会纯正时也不可滥用权力。教会领袖需在刚毅与温柔之间保持平衡,以福音为镜,衡量自己与他人的教导与行为。 5. 对今日教会与信徒的实践应用:从文本到生活的转化 张大卫牧师并不满足于将《哥林多后书》当作历史文献或神学教材来阅读。他主张,这卷书应直接影响今日教会的结构、事工策略与信徒的日常生活。通过提炼书信中的原则与精神,教会可在复杂多变的时代里保持灵性方向。 首先,对于牧者与教会领袖而言,《哥林多后书》是一面清晰的镜子: 对于信徒个人而言,《哥林多后书》的实践应用包含多重层面: 张大卫牧师也建议,当代教会应将《哥林多后书》的精神延伸到社会公义与全球宣教层面。在当下的国际局势、贫富差距、环境危机与宗教迫害的阴影下,教会应不只是内部互助,更应超越地域与民族界限,为处境艰难的群体送去实际帮助与福音关怀。这正是保罗所倡导的超文化爱心奉献精神的现代再现。 6. 结论:为灵性“越冬”而预备的教会与成长之路 张大卫牧师在结束对《哥林多后书》的诠释时,常提及保罗在提摩太后书中那句意味深长的话:“你来时要把马可带来,也要将那皮卷带来”(参提后4:11-13)。这象征着在面对漫长寒冬、逼迫、黑暗与不确定性之前,教会与信徒需要以神的话语与福音真理作为灵性储备。就如同农夫在寒冬前储备粮食、木柴与工具,教会也需在属灵寒冬来临之前,藉由深入研读并实践《哥林多后书》来蓄积属灵能量。 《哥林多后书》呈现的不是一个完美无瑕的教会图景,而是一个被争议、矛盾、痛苦、流泪与不解包围的真实现场。在此现场中,保罗并未放弃真理,反而在苦难中更深领会到神的恩典与力量;并未向假教师低头,反而通过卑微与愚拙的方式颠覆世界的权威标准;并未允许教会陷入冷漠,而是通过奉献与爱的行动使福音在现实世界中落地生根。 张大卫牧师深信,今日教会若能效法保罗的精神,以《哥林多后书》为楷模,就能在多元文化与社会变迁中保持福音的纯净与生命力。这样的教会不必惧怕灵性寒冬,因为早已为越冬做好准备:有福音真理作为根基,有相互关怀的群体作为后盾,有面对虚假教导的勇气与智慧作为武装。 在这漫长的旅程中,每位信徒也将经历内在的蜕变。从遭遇患难到接受安慰,从软弱中体现神的恩典,从文化与制度的夹缝中坚守福音真理,从彼此相爱的奉献中活出群体信仰的实质。这些生命经验汇聚成当代教会灵性成长的史诗篇章。 正因如此,张大卫牧师呼吁教会与信徒积极拥抱《哥林多后书》所传递的属灵资源。无论是深冬严寒般的苦境,还是真假难辨的教导,抑或群体凝聚力的挑战,这卷书都可提供方向与安慰。当教会踏着保罗的脚踪,将泪水化为对真理更深的理解,将痛苦转为实践爱的动力,将恩典理念化为生活行动时,《哥林多后书》的精神就不再只是历史档案,而是活泼跳动的灵性心脏,为整个群体提供血液与氧气。 在神的引领下,当教会与信徒借着《哥林多后书》不断反思、悔改、更新与行动,我们将共同走向更丰富、更深沉、更有使命感的灵性季节。如此,这一源于泪水与真理之间的书信,将继续指引教会穿越时代风暴,在恩典与真理的磐石上建立自己,最终成为传扬神爱与安慰的荣耀见证。

涙と真理のはざまで ― 張ダビデ牧師

序論:コリント人への第二の手紙を読む視点と張ダビデ牧師の神学的歩み張ダビデ牧師は数十年にわたる牧会活動と神学研究を通し、しばしば複雑で理解しにくいとされるコリント人への第二の手紙(以下、コリント後書)を、現代のキリスト者へと深く説き明かしてきた牧者である。この手紙は1世紀のコリント教会という特定の歴史的状況の中で生まれた文書であるが、彼はこれを、今日の教会と信徒が依然として学び、実践すべき真理の宝庫として捉えている。コリント後書は、単にパウロが対立する教会に宛てて書いた手紙ではない。むしろ、真理と恵みの福音を守るため全力を尽くした使徒の内面の苦闘、教会への切なる愛、そして苦難の中で得た神の慰めが詰まっている。 張牧師は、コリント後書にある難解さや激情を、むしろ真実な牧会的告白として解釈する。そこには、理想的な神学体系を提示するのではなく、目の前の現実問題――教会内の紛争、偽りの教え、エルサレム教会の貧困、宣教現場の苦難――に対処しようとするパウロの熱い心がある。この観点から張牧師は、コリント後書を通して教会指導者と信徒が共に、真理の上に堅く立ち、苦難の中で神の慰めを経験し、共同体的責任と分かち合いを実践し、偽教師との霊的戦いをいとわない信仰の歩みを発見するのである。 本論では、コリント後書の多面的な教えを6つの小テーマに整理し、その核心的メッセージが張ダビデ牧師の牧会哲学と信仰共同体にいかなる意義を持つかを深く考察する。 1. コリント教会の背景とパウロの牧会的歩みコリント後書を正しく理解するためには、1世紀地中海世界、とりわけヘレニズム文化が蔓延していたコリント市の背景を把握することが不可欠である。ヘレニズム的風潮とローマ帝国の狭間にあったコリントは、貿易で繁栄する港湾都市として、多様な宗教・哲学・文化が混在する多元主義的環境であった。そのような土壌で成立したコリント教会は、当然のごとく複雑な問題に直面し、パウロがエペソを拠点に宣教する際にも絶えず彼を悩ませていた。 張牧師はパウロの宣教経路を辿り、コリント、エペソ、マケドニア、エルサレムを結ぶ複雑な教会ネットワークを分析する。パウロはコリント教会が福音の真理の上に確固として立つことを願い、彼らの問いに答えるべくコリント前書を通して教義を正そうとした。しかし教会内部に割拠する割礼派、偽教師の侵入によって状況はさらに複雑化し、パウロはテモテやテトスといった同労者を派遣し、書簡をもって彼らの反応を見守った。 こうした文脈の中で、コリント後書は機械的な神学論文ではなく、「生きた」牧会書簡として登場する。張牧師はこの点に注目する。すなわち、パウロはコリント教会という具体的現実の中で真理を守り教会を建て上げるために奮闘した。その生々しい奮闘は、今日の牧会者にとっても模範となる。福音を伝える者、教会指導者、信徒は皆、自らの歴史的文脈を認識し、複雑な状況の中でも真理を打ち立てるための努力を続けなければならない。 2. 福音真理の守護と恵みに基づく救済論の核心パウロがコリント後書で絶対に譲らなかった核心は「福音の真理」である。福音とは、イエス・キリストの死と復活による救いであり、行いや律法遵守によらず、ただ恵みと信仰によって与えられる神からの一方的な賜物である。ところがコリント教会にはエルサレムから来た割礼派教師が侵入し、この単純で純粋な福音に条件を付けようとしていた。彼らは異邦人信徒も割礼を受け、律法を守らなければ完全な救いに達しないと主張したのである。 張牧師はこの点でパウロの断固たる態度を強調する。パウロは律法的義務によって福音を歪めようとする試みに毅然と立ち向かった。この問題はガラテヤ書とも類似する背景を持つが、コリント後書でも暗示的に示されている。福音の真理はあらゆる民族と文化に普遍的であり、民族的・文化的障壁や律法的条件を付すことは福音を霞ませる行為となる。 ここで張牧師は、今日の教会と信徒が反芻すべき問いを投げかける。我々は本当に福音中心なのか。習慣、制度、文化的要素を福音真理より優先したり混同したりしていないか。パウロが命懸けで守ろうとした福音の純粋性を、我々も守り抜くべきである。これによって、教会は真理に根ざした共同体として成長し、信徒は救いの本質に対して確固たる確信を得ることができる。 3. 苦難と慰めの神学、そして共同体的責任コリント後書の冒頭(1:3-11)でパウロは「すべての慰めの神」を賛美し、自身がアジアで受けた苦難について言及する。パウロは生きる望みを失うほどの過酷な苦しみを通じて「死者をよみがえらせる神」への完全な依存を学んだ。つまり、極限状態の中で、人間的よりどころから離れ、唯一神のみを頼みとする信仰の真髄を悟ったのである。 張牧師は、この「苦難と慰め」というコリント後書の中心テーマが現代にも生きた意味を持つと説く。教会は常に挑戦に直面している。財政的困難、宣教の停滞、社会的反発、信仰の揺らぎなど、様々な「苦難」がある。だがその苦難は、神が教会を練り鍛え、主だけに頼る信仰へと導く過程である。苦難の中で信徒と教会は真の慰めと勇気、すなわち「存在の勇気」を得る。 さらにコリント後書8-9章でパウロはエルサレム教会への献金について詳述している。これは苦難にある兄弟姉妹を助ける具体的な愛の実践である。張牧師はこのエピソードから共同体的責任と分かち合いの重要性を強調する。福音を受けた共同体は、実際の行為によってその福音を証明しなければならず、それは貧しい兄弟姉妹を顧みる献身的な愛として顕現する。 このように、苦難を通して慰めを経験した教会は、その慰めを他者へと伝える通路となるべきである。それは共同体が孤立せず、互いに励まし合い仕え合うことで、豊かな霊的生態系を形成する道である。張牧師は、このような連帯と責任を回復することが、今日の教会に求められると主張する。 4. 偽教師への対処と使徒的権威の確立コリント後書後半部(10-13章)でパウロは使徒としての自らの権威を強く弁護する。彼は「光の天使」を装う偽教師たちが福音を損なおうとすることを容認しない。その偽教師たちへの断固たる態度は、真理を守るために不可避な構えである。愛や忍耐という牧会的徳目は必要だが、真理を揺るがす混乱に対しては譲歩しない。 張牧師はここに、牧会者や教会指導者が学ぶべき原則を見出す。福音を歪める勢力、異端や偽りの教え、世俗的価値観が教会内部に忍び込むとき、指導者はパウロのように声を上げ、これを排除せねばならない。それは単なる個人の信仰傾向ではなく、共同体全体を真理の上に立たせる責任である。 使徒的権威は権力乱用や統制ではなく、福音を守り、教会が正しき道へ向かうよう導く霊的リーダーシップである。張牧師は、現代のリーダーシップモデルをコリント後書に見いだす。指導者は真理にしっかり立ち、必要なときは決然と対処して偽りを識別・除去する。それが教会を建て上げ、福音本来の力を保持する礎となる。 5. 今日の教会と信徒への実践的適用張牧師は、コリント後書を単なる古代文献として留めず、今日の教会共同体と信徒に直接適用する。パウロの激情と苦悩、涙と嘆きが込められたこの書簡は、牧会者の心構えと宣教パラダイムに深い影響を与える。 まず、牧会者にとってコリント後書は「福音中心性」という旗印を新たに立て直す。教会運営、宣教戦略、財政管理、人間関係、どの領域にも福音より優先されるべきものはない。張牧師はあらゆる決断が真理に基づいてなされねばならないことを強調する。 また、慰めとケアの牧会原理は、信徒一人ひとりの生活にも応用される。信徒たちは苦難にある隣人を見捨てず、与えられた慰めを分かち合い、互いを建て上げる責任がある。かくして教会は、単なる宗教団体でなく、霊的家族として、一つの身体で結ばれた共同体であることをコリント後書は重ねて思い起こさせる。 さらに教会は財政的・物質的な分かち合いによって、福音の実践的な結実を示さねばならない。張牧師は、教会が地域社会や世界中に点在する困窮した兄弟姉妹を顧み、宣教地を支援し、文化と境界を超えた愛を実践するとき、コリント後書の精神を体現すると説く。このような実践は、信徒個々人にとっても信仰成熟の重要な契機となる。 究極的に、信徒はコリント後書から「分別ある信仰」を学ぶ。偽りの教えや世俗的誘惑の前で揺らがず、福音真理に根付くこと、苦難の中でも神への依頼と希望を失わないこと、そして愛と分かち合いによって福音を生活化することを習得するのである。張牧師は、このプロセスを通じて現代の教会が真の福音共同体へと成長できると確信している。 6. 結論:冬越えする教会と霊的成長への道張牧師は、コリント後書を読むたびに、パウロがテモテへ「マルコを伴い、革袋に入った書物を持って来てほしい」と頼んだ言葉(Ⅱテモテ4:11-13)を思い起こす。それは長い冬に備え、御言葉によって越冬し、霊的糧を蓄える象徴的意味をもつ。コリント後書はまさに、その冬越えのための御言葉の糧である。教会と信徒は、過酷な冬のような苦難に遭遇することがあるが、そのたびに福音真理を懐に抱き、神の慰めと勇気を魂に刻んで耐え抜くことができる。 それは単なる個人的な慰めにとどまらず、教会共同体が互いを建て上げ、真理の上に立ち、偽教師を退け、苦難の中でもエルサレムの兄弟たち(現代で言えば苦しむ隣人)に喜んで分かち合う過程を経て獲得される霊的成長である。コリント後書は、パウロが痛みと混乱に満ちた状況下でも決して真理を手放さず、むしろ苦難を通して魂の深みを増していった歴史的手本なのだ。 張牧師は、教会がこの手本に倣うべきだと訴える。信仰共同体は、福音に根差した苦難克服の経験を通して、ますます強固になり、最終的には神の慰めを世界へ伝える器となりうる。コリント後書は、真理、苦難、慰め、愛の実践が一体となり、教会を成熟へと導く羅針盤であり、張牧師は、この羅針盤に従って教会と信徒が堅実に歩むよう勧める。 今、長い冬に備えるかのように、コリント後書を深く黙想し、福音の真理に己を照らし、苦難の中でも希望を握りしめ、分かち合う生を実践する教会と信徒となることを張牧師は願っている。そうすることで、我々はパウロの切なる思いが宿るこの書簡を通して、より豊かな霊的季節へと進んでいくことができるのである。

Between Tears and Truth – Rev. David Jang

Introduction: Perspectives on Second Corinthians and the Theological Journey of Rev. David JangOver the course of decades in pastoral ministry and theological scholarship, Rev. David Jang has engaged deeply with the complexities and challenges of Second Corinthians, offering it to modern Christians as a resource of profound relevance. Although this letter emerged from the unique … Read more

Entre lágrimas y verdad – Pastor David Jang

Introducción: La perspectiva sobre la Segunda Carta a los Corintios y el camino teológico del Pastor David JangA lo largo de décadas de ministerio pastoral y reflexión teológica, el Pastor David Jang ha profundizado en la compleja y a menudo difícil Segunda Carta a los Corintios, ofreciéndola a los cristianos contemporáneos como una riqueza inagotable … Read more

올바른 믿음 – 장재형목사

전체 구조 1. 올바른 신앙의 역사적·교리적 중요성 삼위일체(Trinity) 교리는 기독교 신학의 중심이자 근간이며, 교회가 2천 년에 걸쳐 공통적으로 고백해 온 핵심 신앙이다. 장재형(장다윗)목사의 설교 맥락 속에서 올바른 신앙이 강조되는 이유는, 이것이 결코 추상적이거나 철학적 사변에 불과한 것이 아니라, 신앙 공동체의 형성과 성장 과정 속에서 생명력 있게 자리 잡은 진리의 표현이기 때문이다. 삼위일체 교리는 세상에 신이 … Read more

장재형목사가 세운 올리벳대학교의 미디어 커뮤니케이션 학생들이 탐구하는 편집: 기술 그룹만큼 태도

오늘날 장재형목사가 세운 올리벳대학교 OSMC(Olivet School of Media and Communication)의 저널리즘 학생들은 편집 및 뉴스 판단 수업에서 뉴스룸에서 편집자의 역할에 대해 깊이 있는 토론을 진행했습니다. 이들은 편집자가 뉴스룸에서 매우 중요한 역할을 한다는 사실을 강조하며 “큰 힘에는 큰 책임이 따른다”는 말을 떠올렸습니다. 편집자는 기사가 발행되기 전에 내용의 정확성, 공정성, 윤리성을 유지하기 위해 핵심적인 역할을 수행합니다. 특히 … Read more

장재형목사가 세운 올리벳대학교의 ESL 학생들은 가을 분기에 영어 능력 요건을 충족합니다

장재형목사가 세운 올리벳대학교의 ESL 가을 분기 학생들이 TOEFL iBT 시험을 통과하고 원하는 학위 프로그램에서 요구하는 점수를 달성했습니다. “이번 분기에 영어 능력 요건을 충족할 수 있어서 매우 기쁩니다. Lisa Bare 선생님의 수업과 지도에 정말 감사합니다. 도전적이면서도 흥미진진한 여정이었습니다.”라고 Meiling Lai가 말했습니다. “Lisa 선생님은 우리에게 어휘, 읽기, 듣기를 집중적으로 훈련시켜 주셨습니다. 저는 많은 책을 읽음으로써 어휘력을 확장할 … Read more

장재형목사가 세운 올리벳대학교 학생들은 기독교 수업에서 하나님의 주권을 묵상합니다

“하나님은 우리 역사의 주인이시다.” – 이 말은 장재형목사가 세운 올리벳대학교 신학교(OTCS)의 겨울학기 기독교사 과정에서 학생들이 배우는 중요한 메시지 중 하나입니다. 이 과정은 주로 오순절 창립부터 현대까지의 기독교 교회 역사를 탐구합니다. 사도 시대부터 중세, 현대 기독교에 이르는 교회 내부와 외부의 주요 사건, 인물, 다양한 추동력을 다루며, 기독교의 역사를 깊이 있는 관점에서 살펴봅니다. 학부생인 수잔 타오는 현재의 … Read more

장재형목사가 세운 올리벳대학교의 TESOL 학생들은 온라인 교육을 위한 효과적인 전략을 연구합니다

코로나바이러스 전염병으로 인해 온라인 교육이 일상화되면서 언어 교육자들은 새로운 도전에 직면하고 있습니다. 장재형목사가 세운 올리벳대학교의 Olivet School of Language and Education(OSLE)의 TESOL 프로그램에서는 이러한 도전에 대응하기 위해 시각 자료와 기술 도구를 활용하여 다양한 교육 전략을 연구하고 실험하고 있습니다. TESOL 프로그램 교수인 Lisa Baer는 성인을 대상으로 하는 ESL(영어를 두 번째 언어로 가르치기) 교육에 대한 다양한 접근법을 … Read more